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プロジェクト

救缶鳥プロジェクト

弊社は2013年7月から現在まで「救缶鳥プロジェクト」の支援を継続しています。同プロジェクトでは、災害の備蓄品である「パンの缶詰」を、賞味期限が来る前に回収し、被災地や食糧難の国の人々へ届けます。
同プロジェクトを推進しているのは、株式会社パン・アキモト(本社:栃木県那須塩原市)です。同社は創業70年を超えるパン屋です。同社取締役営業本部長・秋元信彦氏と、菅利惠社長のインタビュー(2019年2月)を紹介します。

救缶鳥プロジェクト

右:㈱パン・アキモト取締役営業本部部長 秋元信彦氏
左:㈱コミュニティセンター代表取締役 菅利惠

Q「パン・アキモト」という会社について

秋元信彦氏:ひと言で言えば、栃木の小さなパン屋です。株式会社パン・アキモトは、那須塩原で昭和22年(1947)に「秋元パン店」として創業したパン作りの会社です。2017年 12月で創業 70周年を迎えました。私の祖父が立ち上げたパン屋です。
戦後は食料もなかったので、レストランかパン屋をやろうかと考えたそうです。たまたまその時、東京・世田谷の三軒茶屋にあるパン屋さんと縁がありまして、一週間の丁稚奉公の後に立ち上げたのが、わがパン屋です。

Q「パンの缶詰」誕生のいきさつをお聞かせください

「パンの缶詰」で世界中の人々を助けたい!

秋元氏:阪神淡路大震災の時に神戸で被災したあるおばあちゃんが、「乾パンのように長期保存ができて、なおかつバターロールとか食パンのような柔らかくておいしいパンはできないの?」と社長(株式会社パン・アキモト秋元義彦社長)に聞いてきたそうです。社長は「即答はできない」と答えるしかなかったのです。その時は無理だと思ったんですね。

当社は小さなパン屋ですので、食品専用のラボ(研究所)を持っていませんでしたが、仕事が終わった後に当時の工場長と社長でいろんなことにチャレンジしたそうです。冷凍パンを試したり、真空パックをやったりしましたが、なかなかうまくいきませんでした。 そんな時に、地元の農産加工所が目に入ったのです。そこは、畑を持っているおじいちゃんやおばあちゃんたちが、自分たちが作った食材を加工するセンターでした。そこにたまたま缶詰に加工する機械があったので、パンを缶詰にしてみようと考え、缶詰の中に焼いたパンを入れて数日間置いてみたそうです。開けてみてびっくり。中がカビだらけだったのです。殺菌がうまくできていなかったんですね。

殺菌方法もいろいろありますが、当社のような小規模パン屋には、重厚な設備投資をする余裕がありません。追加設備投資をせずにできる殺菌方法がないだろうかと考えていたところ、パンを焼くオーブンをうまく利用すると熱殺菌ができるということに気が付いたのです。そこでいっそのこと空き缶の中にパンの生地を入れて缶ごとオーブンに入れて焼いてみようという発想に至りました。パンを焼きながら缶にも同時に殺菌を施し、焼き上げてふたを閉めたものがこの「パンの缶詰」なのです。缶の中の無菌状態を保ちながら、「救缶鳥プロジェクト」は、災害に備えて備蓄されていた「パンの缶詰」を賞味期限が来る前に回収し、日本各地の被災地や、飢餓や食糧難などの課題を抱える国の人々に応援のメッセージとともにその「パンの缶詰」を届ける取り組みです。

「パンの缶詰」が生まれたのは平成 7年(1995)に起きた阪神淡路大震災の被災者の声がきっかけでした。当社(株式会社パン・アキモト)のトラックで支援物資として届けた生パンの多くが数日で傷んでしまい、捨てるしかなかったのです。そのことを知った秋元義彦社長が一念発起。試行錯誤を重ねた末に、缶の中にパン生地を入れたまま焼き上げて、長期間保存しても柔らかいパンが食べられる「パンの缶詰」が誕生しました。

しかしパンの缶詰とはいえ、賞味期限が切れると廃棄処分にされる運命にあります。せっかく心を込めて作ったパンを捨てることなく、何かに役立てたい。その方法を模索していた秋元社長のもとにスマトラ島沖地震(2004年12月26日)の被災地から、「中古でもいいから賞味期限が切れる前のパンを送ってほしい」と連絡が入りました。その連絡をヒントにして、平成21年(2009)に誕生したのが「救缶鳥プロジェクト」です。

企業や学校、自治体、個人などが災害の備蓄食として賞味期限 3年の「救缶鳥(パンの缶詰)」を購入。賞味期限が残り 1年になると再購入の案内と回収の連絡が届きます。パン・アキモトが回収した「救缶鳥」は、日本はもちろん世界中の被災地に届けられ始め、NGO団体「日本国際飢餓対策機構」などと連携し、食糧難を抱える国や地域へも送り届けられています。 「救缶鳥プロジェクト」は、今までに国内の被災地に約 15万食以上、海外の数十カ国に約 70万食以上を送り届けてきました。災害備蓄食として「救缶鳥」がさらに広がっていくことが、被災地や世界各地にもっと多くの「救缶鳥」を届けることにつながります。
しっとりしたパンが出来上がりました。阪神淡路大震災からおよそ 1年後のことでした。

Q「救缶鳥プロジェクト」誕生の背景をお聞かせください

秋元氏:「救缶鳥プロジェクト」は2009年9月9日生まれです。「999」の日です。そして 2016年秋、日本記念日協会は「9月 9日」を正式に「救缶鳥の日」として登録しました。 祖父はパン屋になる前に飛行機乗りをしていて、世界中を周っていました。祖父も父もクリスチャンでしたが、父は大学生の時に宣教師と一緒にバングラデシュなど、発展途上国を周っていたのです。そこでストリートチルドレンなど、貧困や飢餓の実情を目の当たりにしながら、一方で日本に帰ってくるとパン屋では廃棄ロスが出ているという現状を抱えていました。このパンで何かできないだろうかという思いはずっとあったようです。

スマトラ沖地震の被災地に、現地の要請があって数千缶のパンの缶詰を送ったそうなのですが、そのことを通して、日本では中古やごみになってしまう食料も、海外では生かされるかもしれないと考えるようになったのです。

また、大量のパンの缶詰を買っていただいていた神奈川県のある自治体から、「そろそろ買い替えの時期だが、今備蓄してあるものを処分してくれないか」という依頼が来たのです。処分するにはかなり費用がかかるので、引き取ってくれないかという話だったのです。その時はお断りしたのですが、同時にこのことが「救缶鳥プロジェクト」の原点でもある、「パンの缶詰は賞味期限前であれば海外では生かされる」という発想と結び付いていったのです。

NGO団体の日本国際飢餓対策機構と協力して、パンの缶詰を海外に義援物資として送り始めました。個人でも簡単に参加できる、備蓄しながら国際貢献ができる仕組みが「救缶鳥プロジェクト」なのです。

Q「救缶鳥プロジェクト」をなぜ支援するのか

「最後まで食品を生かし切る仕組み」に感銘

菅利惠社長:当社の齋藤京子室長(経営企画室)とは、彼女の入社前からの知り合いでしたが、その齋藤さんがある日、パンの缶詰とパンフレットを持ってきて、「いい仕組みなので、コミュニティセンターさんでも何か協力できませんか」と言ってきたのです。内容を知ってみると、理念がとても素晴らしいんですね。これはマンションの管理組合に非常食として用意していただくのがいいのではないかと思いました。

私は以前役所に勤めていたことがあります。役所も防災対策の一環で乾パンと氷砂糖を用意していましたが、賞味期限が切れた時の扱いが大変なのを知っていました。また、乾パンは堅いので、お年寄りや赤ちゃんは食べられません。防災課では簡単にお湯で食べられる非常食のご飯とか、レトルトものなど、いろいろ扱っていました。

齋藤さんが紹介してくれたパンの缶詰を実際に開けて食べてみたところ、デニッシュタイプのすごくおいしいパンでした。プルトップをピッと引っ張れば、一食分のエネルギーが足りてしまうのです。これは使えると思いました。私は高齢者の福祉に携わっていましたので、福祉施設の職員が非常時に一番助かると感じました。非常時にはお湯は沸かせませんし、食事の用意もできません。お年寄りもこれならほとんどのかたが食べられると思います。一つの缶で一食分の必要なカロリーを摂取することができるのです。

さらにいい所は、2年ごとに回収して応援メッセージを書いて、その「救缶鳥(パンの缶詰)」を世界の飢餓の国に送ることができることです。日本の子どもたちに世界の貧困事情を知ってもらう機会にもなると思い、教育委員会にも紹介しました。今から 6年ぐらい前のことです。ちょうど救缶鳥プロジェクトが立ち上がって間もない頃のことでした。その後、これを紹介してくれた齋藤さんも縁あってうちにきてくれるようになったんですね。

Q菅社長との出会いをお聞かせください

秋元氏:齋藤さんは私の前職の先輩なんです。菅社長をご紹介いただいて、すぐ伺いました。菅社長は私の話に真剣に耳を傾け、救缶鳥プロジェクトを前向きに捉えてくださいました。コミュニティセンターさんの役員のかたのご紹介をきっかけに、北越紀州製紙(元北越コーポレーション)とご縁を持つことができ、アフリカのスワジランドの貧困の子どもたちへの支援が実現しました。今 5年目になり、支援した救缶鳥は 10万缶を超えました。スワジランドの赤十字が責任を持って学校まで配布するというルートもできました。菅社長に関心を持っていただかなければ、そこまでいかなかったと思います。

菅社長:最後まで食品を生かし切る、その仕組みはすごいなと思います。だから中古の食べ物でも喜ばれる。中古という言い方は食品に対して失礼ですが、捨てないで食べてもらうという、そこに目を付けたことが素晴らしい、そしてこのパンの缶詰はとてもおいしいんです。

Q今後の抱負と、コミュニティセンターに期待することは?

秋元氏:おかげさまで、一昨年(2017)に環境大臣賞最優秀賞を頂きました。そのきっかけは、福岡のあるかたから連絡があって、「こんな賞があるから応募してみたら」と言われたことからでした。ところがそのことをすっかり忘れていたのです。締め切りの 1週間前という時にまたそのかたから連絡があって「応募した?」と聞かれたのです。それで応募しようとしたら提出しなければならない書類がすごい数なんですね。社長に確認していたらこれは間に合わないと思い、勝手に書類を作って出しちゃったんです。そしたら結果的に環境大臣賞を頂くことになったというわけなんです。

それで「アフリカに行ってきていいぞ」ということになりまして、今回、スワジランドに行かせていただき、現地の子どもたちに直接パンを渡して食べてもらうことができました。私には現地の子たちと同世代の子どもがいます。スワジランドの子どもたちと接しながら、お恥ずかしいことに、涙が止まらなかったんですね。何だかよく分からないのですが、涙が止まらなかったのです。

祖父がよく言っていました。「ある人はたまたま日本で生まれ、ある人はたまたまアフリカで生まれた。でも同じ地球の人間なんだよね」と。宇宙飛行士の若田光一さんは「われら地球人」という言葉で表現していました。うちの子どもと同じ世代で、たまたまスワジランドで生まれた子どもたち、「ああ、そうか」と、心の中で、すとんと腑に落ちたんですね。 商売は商売ですから、やはり売り上げを上げなければならないのですが、それ以上に、この救缶鳥プロジェクトの参画団体が増えれば、2年後に世界の子どもたちに送れる食料が増えるんだなと思ったのです。

菅社長は今までいろんな所を紹介してくれましたし、さまざまな提案をしてくださいました。菅社長はネットワークもたくさんお持ちですので、売り上げうんぬんということではなく、救缶鳥プロジェクトの参画団体がどんどん増えていけるようになればと願っています。参画団体が増えた分だけ、世界の子どもたちの笑顔が増えていくからです。

世界の子どもたちの笑顔のために

菅社長:企業には社会的な役割が絶対に必要だと思うんですね。社会に必要とされる企業とならなければ、発展しても意味がないと思います。秋元社長はこの仕組みをアメリカに広げたいと考えておられるそうです。アメリカも竜巻だとか、自然災害が多い所だからです。国土も広大で、救援物資がすぐ届くわけではありません。だからアメリカでもこのような取り組みができて、パンの缶詰のようなものを備蓄すれば、人々を助けられるのではないかということです。アメリカのパン屋さんにこういうアイデアを売り込んで、自分の所は儲からなくても別に構わない、そういう取り組みを世界にどんどん広げたいと言っておられますね。

当社においても、もっともっとプロジェクトの推進に貢献したいと考えています。

「救缶鳥プロジェクト」って何?

被災地や貧困地域の人々にパンを届けたい
「救缶鳥プロジェクト」は、災害に備えて備蓄されていた「パンの缶詰」を賞味期限が来る前に回収し、日本各地の被災地や、飢餓や食糧難などの課題を抱える国の人々に応援のメッセージとともにその「パンの缶詰」を届ける取り組みです。
「パンの缶詰」が生まれたのは平成 7年(1995)に起きた阪神淡路大震災の被災者の声がきっかけでした。当社(株式会社パン・アキモト)のトラックで支援物資として届けた生パンの多くが数日で傷んでしまい、捨てるしかなかったのです。そのことを知った秋元義彦社長が一念発起。試行錯誤を重ねた末に、缶の中にパン生地を入れたまま焼き上げて、長期間保存しても柔らかいパンが食べられる「パンの缶詰」が誕生しました。 しかしパンの缶詰とはいえ、賞味期限が切れると廃棄処分にされる運命にあります。せっかく心を込めて作ったパンを捨てることなく、何かに役立てたい。その方法を模索していた秋元社長のもとにスマトラ島沖地震(2004年12月26日)の被災地から、「中古でもいいから賞味期限が切れる前のパンを送ってほしい」と連絡が入りました。その連絡をヒントにして、平成21年(2009)に誕生したのが「救缶鳥プロジェクト」です。
企業や学校、自治体、個人などが災害の備蓄食として賞味期限 3年の「救缶鳥(パンの缶詰)」を購入。賞味期限が残り 1年になると再購入の案内と回収の連絡が届きます。パン・アキモトが回収した「救缶鳥」は、日本はもちろん世界中の被災地に届けられ始め、NGO団体「日本国際飢餓対策機構」などと連携し、食糧難を抱える国や地域へも送り届けられています。
「救缶鳥プロジェクト」は、今までに国内の被災地に約 15万食以上、海外の数十カ国に約 70万食以上を送り届けてきました。災害備蓄食として「救缶鳥」がさらに広がっていくことが、被災地や世界各地にもっと多くの「救缶鳥」を届けることにつながります。

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